1976年渋谷公園通りにてパリの雰囲気をそのままにマリオンクレープは誕生した。
日本が欧米の文化やファッションを模倣しつつ、独自にアレンジしていった頃の話である。
創業者である岸伊和男は大学卒業後ある作家の勧めでフランスへ渡ることになる。気がつけば7年を過ごしたが、日本に戻ることを決意。
帰国後頭に浮かんだ秋の景色の「クレープ」!マリオンクレープ誕生の瞬間であった。
それから2年後の1976年、渋谷公園通りにあった駐車場の一角でマリオンクレープ1号店をスタートさせた。当時の日本は、パリというものに憧れをいだいていたのだろう。クレープを紙で巻き、食べ歩くスタイルは日本で初めてのことであった。メディアも挙って取り上げてくれた。新聞・雑誌などの記者が訪れ、表紙を飾った事もあった。
翌年1977年竹下通り(現在と同じ場所)に店をオープン。当時はまだ昭和レトロな商店街の面影が強く残る通りであった。しかし、時代とともに原宿文化が芽生えた頃でもあった。竹の子族を始め当時からファッション・文化の最先端の通りとして原宿は変貌していった。
マリオンクレープもその流れに逆らうことなく、若者文化の最先端スイーツを提供し、所謂「食べ歩き文化の発祥」となった。
開業当初は洋酒をふりかけた少し大人のクレープであったが、原宿の変化とともにホイップクリームやアイスクリームといったクレープが幅広い世代に伝わるよう、「ジャパニーズクレープ」という新たなジャンルへと進化していった。
日本のクレープショップのイメージ(カワイイ・華やか)のパイオニアである。
竹下通り店出店からほどなく、請われて避暑地軽井沢に出店することになる。出店当初クレープ店は3店舗ぐらいだったが翌年には13店舗にもなっていた。
都内でも同様の現象が起きていて、マリオンクレープスタイルを真似するショップは次々と生まれていった。だが、便乗しただけの店はすぐに撤退することになり、クレープショップとして残ったのは、さほど多くなかった。
創業者は既に一線を退いたものの、マリオンクレープは現在全国に80店舗ほど展開して、クレープ一筋で営業を続けている。